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自分を取り戻した子供たちの声NO2

安 亜希子(やす あきこ)

オーストラリア・シドニー (Lloyds Intennational College留学)

◇取材時期:2003年7月

安 亜希子|オーストラリア・シドニー (Lloyds Intennational College留学)オーストラリアに来て、あっという間に2ヶ月が経ちました。
1ヶ月間、ホームステイをして、その後は自分でシェアを探して、今はオージー1人、日本人2人と一軒家に住んでいます。家も英語環境ですごく勉強になります。
学校もすごく楽しいです。
いろいろな国の友人も出来て、毎日遊びに来ているような感覚。
本当にこっちに来てから、時が経つのがすごく早く感じます。
日本人とは違う、刺激的な環境に毎日大満足しています。

安 亜希子|オーストラリア・シドニー (Lloyds Intennational College留学)安 亜希子|オーストラリア・シドニー (Lloyds Intennational College留学)

 

コウジ 17歳(仮名)

アメリカ・ユタ州

◇取材時期:2003年6月

中1の冬、部活動(野球部)の先輩にいじめを受けたことが原因で、学校へ行きたくなくなった。それ以降3年間、近所の人たちや同級生たちの目が気になり、一人で家の玄関を開けることはなかった。さらに、父や弟たちに理由もなく暴力を振るうようにもなっていた。
そんな時期に、ふと従兄弟から「コウジは自分の過去と向き合わないとダメだ。そうしないと本当にすべてを失ってしまうよ。フリースクールに通ってみたらどうか。」と促された。その言葉がきっかけで思い切ってフリースクールの門を叩いた。そこは今までの学校とは違っていた。自分の気持ちを正直に紙に書くことから始まったのだ。両親の喧嘩を見るのがいやだったこと、強く叱る母が怖かったこと、父が全く僕の気持ちを理解してくれようとしなかったことなど、今まで思い込んでいたことを紙に書き連ねると、不思議と心が軽くなっていくのが自分でもわかった。
ある時、スクールの先生にジョンカの阿相さんを紹介された。そこで、「阿相さんにも半年間ほど不登校になった高校時代の経験があった」ことを聞かされた。そのためか、両親・親戚を含め今まで知り合った人たちの中で最も「僕を理解してくれている」と、実感した。それと同時に父とは違う彼の価値観が僕の気持ちをやわらげてくれた。
その阿相さんから留学の話を聞き、不安を抱えながらもとりあえず半年間英会話をみっちり習った。そのうち少しずつ自信を取り戻し、「留学するなら今しかない」と思えるようになり、アメリカに渡る決意をした。それが今から2年前の5月のことだ。
今ではアメリカでの生活も板につき、充実した毎日を過ごしている。毎週末はスノーボードのクラブ活動で近くの雪山へ行き、3時間あまり各人が自由に滑るだけ。上下関係や厳しい練習などは一切ない。まさに僕向き。
留学した当初は授業についていくのが大変だったけど、ホストファミリーのみんなが親身になって助けてくれたので乗り切ることができた。本当に心強い味方になってくれて、心底感謝をしている。
そういえば、この前日本へ国際電話をした時、母が電話口で「(僕の)声が明るくなったね!」とものすごく驚いていたっけ。確かにここまで変われたことを、自分でも少しびっくりするが(笑)。それも決して楽な道ではなかったけど、自分の意思で決めて選んだ道だから辛いことにも耐えられてきたのだと思う。これからも前を向いて歩き続けようと思っている。

ヨウコ 22歳(仮名)

オーストラリア・シドニー

◇取材時期:2002年3月

『映画館へは、昼間に3人以上で。』『髪が肩についたら三つ編みに。』などなど。
私が通っていた学校は、地元では有名な進学校だったので、校則が非常に厳しく何か息苦しさのようなものを感じていました。
それは今から5年ほど前のことです。高校2年生でアルバイトを始めた私は、バイト先で学外の同年代の友達ができました。彼らは皆フリーターで、私の生活とはまったく違う日々を送っていました。そんな彼らと話をしているうちに、「私はなんて狭い世界にいるんだろう」と疑問を持つようになり、学校へ行くことも馬鹿らしいと感じるようになっていました。当然、成績はガタ落ち。そのことが原因で両親との喧嘩も絶えなくなり、徐々に精神的に病んでいきました。しだいに食事ものどを通らなくなり、拒食症と過食症を繰り返し、最後は学校へ行けない状態にまで陥りました。
しかし、転機は突然やってきました。そんな生活を送るようになって8ヶ月が経とうとした頃、母が唐突に「オーストラリアへ留学でもしてきたら?」と私に言ったのです。
それから数ヵ月後、私はシドニーの公立高校へ入学していました。
初めは授業にもまったくついていけず、ホームステイ先で出される食事は体が受けつけず、気がついたときには10kgも体重が落ちていました。その時は本当に「日本に帰ろうかなぁ」とも思いましたが、「ここで帰ったら一生自分に自信をもてなくなる」と思い、もう一度自分を奮い立たせました。
それから3ヶ月の月日が経ち、徐々に英会話にも不自由しなくなってくると、今までの苦痛がうそのように消え去っていることに気がつきました。それどころか学校の授業が楽しいと感じるほどになっていたのです。
例えば家庭科。「コース料理の前菜からデザートまですべてを、自分自身で考えて自分の手で作りなさい」と、こんな課題がいきなり出されたりしました。どの科目でも教壇で先生が講義し、生徒はもくもくとノートを取るという日本の高校の授業とはまったく違いました。
結局2年間でシドニーの公立高校を卒業し帰国。そして帰国子女枠で上智大学に合格しました。今振り返ってみると、普通に食事すらできなくなってしまっていた私が、海外の家庭で、友人や家族もいない環境で生活を送った2年間が、自分に対して大きな自信を与えてくれたと思います。もちろん、私のためにたくさんの協力をしてくれたジョンカやホストファミリーの皆さんにも、心から感謝しています。
女子大生になるまで少し時間が掛かってしまいましたが、私にとっては『いい回り道』でした!本当にありがとうございました。

大藤 栄子(だいとう えいこ)

オーストラリア・シドニー(Milton Collage留学)

◇取材時期:2002年3月

大藤 栄子|オーストラリア・シドニー(Milton Collage留学)このスペースに留学体験の全てを書くのはとても難しいことですが、この1年は私にとって、とても長い1年であったように思います。
今、日本に帰ってきてシドニーでのことを振り返った時、いろいろな思い出が頭の中を駆け抜けていきます。ミルトンカレッジのイヤーブックなどひろげ、みんなからのメッセージを読むと、オーストラリアでの生活の印象的な場面だけが浮かんできます。I am missing my friend.です。クリスマス頃まで友達ができず、「これが留学なんだ」と思い込んでいたあの頃の自分がとても小さく見えます。
楽しいことも確かにたくさんありましたが、つらいことの方が多かったような気がします。でも、今考えると誰もが言うように「それも良い思い出」になっているのです。
この1年で私が得たものっていったいどれくらいあるのでしょう。そのひとつひとつが私の人生の中で貴重で、大切で、お金では買えないものばかりです。そう考えると、私も少しは大人になったような気がします。また行きたい、いえ絶対行きます。オーストラリアは私の第二の母国。両親にそして妹にもBeautiful Lardを見せてあげたいのです。ジョンカの皆さん、そしてPeterson Familyそしてミルトンのみんな、本当にありがとうございました。

大熊 康利(おおくま やすとし)

オーストラリア・シドニー(The Pitts water High School留学)

◇取材時期:2002年2月

大熊 康利|オーストラリア・シドニー(The Pitts water High School留学)早いもので、僕がオーストラリアに来てから1年になる。最初の1ヶ月は失敗ばかり。体調を崩してしまい、食事が口に合わずに困ったこと。ひとりでバスに乗り込み、方向違いの場所で降りて1時間も歩いてホームステイ先へたどり着いたこと。何とかキリ抜けてきたって感じ。しかし、そのぶん人に頼らずに生活することを身につけることができた。「同じ失敗は2度と繰り返すまい」と、自分なりにトラブルに対処したのが良かったのかもしれない。
英会話に関しても、はじめの2ヶ月くらいは不安だった。テレビを見ていても内容が把握できずにいた。ところがある日、コメディー番組を見ていてつい吹き出してしまった。「ジョークを聞き取ることができたぞ。」うれしくて笑いが止まらなかった。ヒアリングは英語に慣れれば、自然と身につくものだったのだ。
大熊 康利|オーストラリア・シドニー(The Pitts water High School留学)ホームステイ先のふたりのホストブラザーは、僕の良きパートナー。もちろん、意見が衝突し合うこともたまにある。そんな時は、「できるだけ腹を立てないように」と努めている。せっかくの留学生活をつまらないことでだいなしにしたくはない。よくホストファミリーを途中でチェンジしてしまう例を聞くが、僕はこのまま頑張るつもり。それは彼らと忘れることのできない貴重な体験をしたからだ。ホストファミリーの年中行事ともいえる、『フォスター、2週間の旅』へ行った時のこと。ある雨上がりの日、僕とホストブラザーはビーチでサーフィンを楽しんでいた。と、その時だ。「ドルフィン!」という叫び声を聞き、ふと5メートルほど前を見ると、僕たちと同じ波に乗ってドルフィンが見事なジャンプをしているではないか!僕たちはすっかり興奮状態。全力でドルフィンの後を追った。こんな衝撃的な体験を一緒に味わったホストブラザーとは、これからもいい関係でいられると信じている。

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2007.3.4
東京都杉並区にてセミナーを実施しました。

2006.7.23
雑誌国際グラフの取材を受け掲載されました。

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